コンピュータ社会の問題点

2002年7月16日

2つの問題点

 近年のめまぐるしい技術進歩により、"コンピュータ"と"インターネット"は生活に欠かせないもののひとつになった。私たちはこれらのおかげで便利な世の中になったと感じている。普段なら電話も手紙も出さないであろう友人にも簡単に電子メールを送ることが出来るようになり、友人と直接会う機会は少ないものの、安否の確認は容易に行なえるようになった。テレビ電話も今では携帯電話で行なえるようになった。5年前には既に環境が整えられていたが、まだ普及しているとは言い難い状況だった。たった5年という歳月で、これほど爆発的な普及を遂げるとは誰も予想していなかったであろう。

 先日、総務庁が発表した『インターネット白書』によれば、日本では約5500万人もの人がインターネットを利用し、さらに『生活に必要不可欠』と回答した人は60%を超えたという。世界で見ても5500万人という数はアメリカに次ぐ第2位になるそうだ。この"コンピュータ"と"インターネット"という2つのキーワードは切っても切れない関係になっている。そして私たちの生活からも切れないほど身近な存在になっている。

 ではここで改めて考えてみることにする。"コンピュータ"や"インターネット"は本当に"便利"なのだろうか。彼らの"弱点"は何だろうか。私はここで2つの問題を取り上げてみる。ひとつは"セキュリティ"という問題、そしてもうひとつは"人工知能"という問題である。

セキュリティという問題点

 ここ最近よく耳にすることばに"セキュリティ"というものがある。インターネットを利用して自分とは無関係のコンピュータに侵入し、悪事をはたらく"ハッキング"である。事実、勝手にホームページの内容を書き換えられる事件が多発している。このようなニュースが放映されるたびに"セキュリティに問題がある"とニュースキャスターは原稿を読み上げている。

 インターネットは世界規模のネットワークである。何千万台と存在するコンピュータが、ケーブルですべて繋がっている。相手のコンピュータの居場所さえわかれば、その中に侵入することは容易である。しかしこれでは個人情報保護もへったくれもない。プライバシーは守りつつ、すべての利用者が快適に利用できてこそインターネットの価値が生まれてくる。

 最近ではこのセキュリティに注目された製品が売り上げを伸ばしている。企業のネットワークを保護する目的のファイアーウォール、そして私たち一般人が自宅のパソコンを保護する目的のセキュリティ対策ソフトウェア。この製品導入でそれなりにセキュリティを高くすることは可能である。

 "Security"を辞書で引いてみた。"安全"や"防衛"という意味のほかに、"油断"という意味も持つという。

 "Security is the greatest enemy."つまり"油断大敵"である。ファイアーウォール機器を導入したから、セキュリティ対策ソフトをインストールしたからこれで安心、と油断することなかれ。必ずしも万全ではないのである。実際、ホームページを改竄された大手企業や官公庁のネットワーク対策が、それほど軟弱とは到底思えない。それなりの金額を投資してセキュリティ対策をしていただろう。しかし彼らには"油断"があった。セキュリティ対策は万全だという驕りが事件を招いたのである。

 昨年10月、ソフトウェア最大手のマイクロソフト社から新しいオペレーティングシステム(OS)である"Windows XP"が発表された。これまでのOSに無かった新しい機能として注目すべきが"リモートアシスタンス"であり、ここで取り上げてみたい。

 この機能はパソコン初心者Aが難しくて分からない設定を知り合いのパソコン上級者Bに依頼し、依頼されたBはインターネット経由でAのパソコンを遠隔操作する、というものである。AとBの両人で取引が成立し、認められた行為ではあるが、やっていることは"ハッキング"と何ら変わりは無い。しかしこのような機能を追加することはユーザーからの声であり、時代の風潮でもある。急激なパソコンブームにより皆が競ってパソコンを購入し、インターネットや電子メールを利用し始めた。結果としてパソコン初心者の急増を招いてしまった。

 パソコンの基本となるOSとして機能が充実し、皆が快適に利用できる環境を作るのはコンピュータ業界として当然であり、義務とまで言えるかもしれない。しかしOSもセキュリティ対策ソフトも、人間によってプログラムされた造物である。ファイアーウォール機器も人間が作り上げた構造である。つまり"完璧"ではないということだ。

 "完璧"でない例として、今年4月、大手銀行の基幹システムで大規模なトラブルが発生した。二重引き落としや振込遅延など、日本経済に大きなダメージを与え、その銀行は信頼を失った。今や銀行だけでなく、保険や証券、スーパーの在庫管理から企業の人事管理に至るまでほとんどの部門でコンピュータが導入され、業務の自動処理化が進められている。そしてそれを使用する我々も、例えば銀行のATMが、トラブルにより使用が制限された場合を想定していない。

 プログラムは"完璧でない"人間が造っている。完璧でない人間が人間以上に完璧なモノを造り上げたとしたら、今頃人間はコンピュータ上司の下で働いていることだろう。

人工知能という問題点

 先程、"人間はコンピュータ上司の下で働いている"と表現した。しかしこれは決して冗談ではないし、そんな時代がすぐそこまで押し寄せている。

 人間は業務の自動化・効率化を図り、ロボットを製造してきた。業務用ロボットに特定の動作を覚えこませ、休むことなく働かせてきた。業務用ロボットは人間と違い、文句ひとつ言わずに覚えさせられたとおりの動作をこなしてくれた。そして我々はそんなロボットの存在があたかも当たり前のように接している。

 チェス・ゲームの世界チャンピオンとIBM社の開発したコンピュータが、チェスの本当の世界一を争ったというニュースがテレビに映し出されていた。結果は五分五分。世界チャンピオン(人間)がコンピュータ相手に苦戦を強いられた。さて、不思議なことを思いつく。IBM社のプログラマーは、世界チャンピオンに匹敵するほどのチェス名人であろうか。しかし、そうは思えない。プログラマーはチェスのルールを知っている程度の一般人であろう。では何故世界チャンピオンが一般人プログラマーの作り上げたコンピュータに苦戦するのか。このコンピュータは"自ら考える"というのか。

 結論は、"自ら最適な次の一手を考えている"のである。もしコンピュータに自ら考える能力が無ければ、業務用ロボットと同じレベル、すなわち教えられたことをそのまま遂行する程度である。ところが頭脳の発達した人間に匹敵する思考能力を備えたコンピュータは既にこの世に誕生しているのだ。もし彼らのように思考能力を備えたコンピュータが感情までも備えたとしたら、コンピュータが人間を支配しようという感情を持っても決しておかしくはない。

2つの問題点が教えること

 近年、ロボットは犬や猫などのペットとして、そして二足歩行の人型として我々の身近な存在になりはじめている。彼らには人工知能技術が惜しみなく導入され、その結果自ら考え、行動している。将来的には二足歩行の人型ロボットが、人間に"完全に"入れ替わり仕事をするようになるかもしれない。 コンピュータを創造した人間がコンピュータに支配されることのないよう、また、人間とコンピュータの明確な境界線ともいうべき住み分け方を考えなければ、人間に明日はないのではないだろうか。

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