プロフィール(トホホ物語)

  1996年12月、現在の会社に入社してから間もなく、初めてのパソコンを買うことになりました。当時は何が良いのか全くわからず、妥当なNEC製バリュースター(PC-9821V13)を購入しました。当時としては当たり前の感じですが、CPUはPentium133MHz、メモリ32MB、HDD1.2GB、15インチのモニタが付属して約18万円。ついでにスキャナ機能付きプリンタ(ALPS製MD4000J)も購入し、これからのパソコンライフに胸躍らせていました。

 最初に始めたのはスキャナ付きプリンタを使った画像編集。まず家電量販店で画像編集ソフトを購入し、慣れない手つきでインストールもなんとか完了。子供の頃の写真をどこからともなく持ってきてはスキャンし、適当に編集して印刷・・・。ところが高画質でスキャンしようとすると、スキャンに30分、取り込まれたデータは36MBもの容量を必要とし、印刷に至ってはスプール時間が45分。印刷に15分。たった1枚を印刷するのに1時間もの時間を要していました。どこに原因があるのか見当もつかなかった僕は、『パソコンなんてこんなもの』と思い込み、それでも毎日写真を替えてスキャンの繰り返し。飽きたのは約2ヶ月後のことでした。

 2ヵ月後、実はパソコンゲームを初めて購入。『ザ・コンビニ』というコンビニエンスストア経営シミュレーションゲームでした。パソコンの性能のせいか、画面上の絵がカクカク動きます。でも僕は『パソコンなんてこんなもの』と思い込み、狂ったかのように毎日コンビニ店長に変身していました。

 購入したバリュースターは画像編集とパソコンゲーム専用機と化していきました。

 2代目の購入に踏み切ったのは1999年9月のこと。7月から一人暮らしを始めていた僕は、部屋の広さにも余裕ができ、タワー型のパソコンを買って本格的にパソコンを覚えようと思いはじめました。仕事でも色々な機種に触れていたし、それなりの知識もついてきた僕は、『だったら直販メーカーでオリジナルパソコンを注文しよう!』と考え、メーカーに今は亡き日本ゲートウェイを選択。引っ越し後にようやく接続したインターネットでゲートウェイのホームページを検索し、好きなようにカスタマイズした自分だけのパソコンをインターネットで購入。当時注文したパソコンは、PentiumV500MHz、メモリ192MB、HDD34GB、DVD-ROMドライブ、19インチモニタと、最速・最強PC。34万円も支払いました。ハードディスクの当時の平均は8GB〜10GB。なんと34GBのハードディスクだけで65,000円しました。

 注文から約4週間後、待ちに待った納品の日。クロネコヤマトのお兄さんが持ってきたのは牛柄の特大ダンボール2個と小さなダンボール2個。19インチモニタとタワー型の本体、それに付属のスピーカー類が送られてきました。しかしここからが戦いでした。19インチモニタが想像以上に重いのです。クロネコヤマトのお兄さんは、これを一体どうやって我が家のある4階まで持って来たのか・・・。エレベーターはありません。両手を広げてダンボールの側面を持ち、一歩進んでは休憩し、10分近くかけてやっと部屋の奥まで持っていきました。しかし今度はダンボールから出せません。モニタを持ち上げるとダンボールまで付いてくる。しかしダンボールを押さえてくれる人はいません。足をうまく使ってダンボールを押さえ、腰を痛めながらようやく巨大な体が姿を現しました。

 なんとかセッティングを終了し、楽しみにしていたパソコンライフの幕開けです。

 まず電源を第一投。Windows98が起動しました。速い!今まで体感したことの無いスピードでWindowsが起動しました。喜ぶのもつかの間、使いやすいようにパーティーションを作成し、用意していたソフトのインストール作業を行なう為、一旦電源を落としました。ハードディスクをフォーマットし、パーティーションを作成したところでWindows98の再インストールを開始しました。ところが・・・。再インストールが途中で止まってしまいます。『強制終了』のメッセージが表示され、例外処理がどうのこうの・・・。何度フォーマット&インストールを行なっても失敗します。仕方なくゲートウェイサポートに電話することにしました。ユーザーサポートでは日本一のゲートウェイです。優しい口調の担当者に言われるまま、次から次へとハードチェックを行ないました。ところが改善しません。担当者も疲れた様子で、最終的には『本体をサービスセンターへ送ってください。』とのこと。僕の最新・最速パソコンは元きたダンボールにしまい込まれ、故郷のゲートウェイへと帰っていきました。

 再びクロネコヤマトのお兄さんが配達にきたのは12月のことでした。メモリの初期不良が原因だったらしく、新しく生まれ変わった僕の最新・最速パソコンは息を吹き返しました。ところが・・・。

 電源を入れてインターネットをしていると、またもや『強制終了』の連続。今度は何が原因なのか、全く見当もつかなかった僕は再びゲートウェイサポートに電話。優しいけどどこか冷たい口調の担当者が『担当者をご自宅へ向かわせます。』とのこと。しかし年末だったこともあり、担当者は『年始4日にならないと行けません』。10月に買った僕のパソコンはついに2年越しとなってしまいました。

 2000年1月4日。『リコーテクノサービス』と名乗る担当者が自宅へ。何故リコー?と疑問をもちつつ、担当者をパソコンのある部屋へ案内し、ハードチェックが行なわれました。結果は『ハードウェアの初期不良』。先月メモリの初期不良で交換したばかりのパーツ類は、ものの見事にバラバラにされ、新品に交換されました。結局マザーボード、CPU、メモリが新品に交換され、無事動くようになりました。ゲートウェイからパソコンが納品されてから、実に2ヶ月もの時間が経過していました。ようやくパソコンライフの幕開けでした。

 パソコンライフを満喫していた僕に、新たなる野望ができました。『ホームページ作成』です。しかしプロバイダ提供の無料ホームページスペースは5MBと少なく、ジオシティーズ等の無料スペースだと広告バナーが入ってしまう。考えた僕は『独自ドメイン取得』を選びました。当時ハンドルネームを『snow』としていた僕はその名前を入れたドメインの取得を考え、snow-park、snow-landなどを候補に色々と検討していました。ようやくsnow-islandで落ち着き、ドメイン取得手続きを行なったのです。登録代行業者を利用した手続きはあっという間に終わり、レンタルサーバの手続きも行ない、とうとうホームページ作成に乗り出しました。2000年2月の末のことでした。

 ある知り合いにドメイン取得のこと、ホームページ公開のことを伝えると、それに便乗してホームページを公開したいという人が2名現れました。話はとんとん拍子で進み、3名の管理人による共同ホームページプロジェクトが始動しました。そして3月13日、SNOWアイランドドットコムという名のホームページ公開に漕ぎ付けました。

 ホームページを持つことがこんなにも大変なのかと思い知らされたのが、『コンテンツの検討』です。どんなホームページにするのか、どんな情報を発信するのかで色々と悩まされました。3名の管理人という特殊な関係もあり、意見がまとまりません。結局『生活総合情報発信』という方向で何とか落ち着き、コンテンツはそれぞれ好きなように公開する、ということになりました。僕はコンテンツ充実を図る為、デジカメの購入を検討しました。一度欲しくなると自分では欲を抑えられなくなる僕は4月、ついにSONY製サイバーショットS70を買ってしまいました。

 こうしてパソコンライフをさらに充実させ、楽しい日々が始まる・・・ハズだったのですが・・・。

 またもやパソコンの調子が変です。しかしゲートウェイのサポートには懲り懲りです。今回は自分で直そうと、本体のふたを開けました。パーツ類を一旦外してみたり色々とやっているうちに、とうとうWindowsそのものが起動しなくなってしまいました。何が原因か分かりません。もしかしたら静電気でパーツが破損してしまったのかもしれません。そうなると直すにはかなりの出費が必要です。直したくても直せない状況になりました。

 この時から初代バリュースターが現役復帰しました。僕の最新・最速パソコンライフは、化石状態の低速パソコンへ。

 それから約1年が経過しました。2001年3月12日。人生で最悪の日を迎えました。帰宅すると玄関の鍵が掛かっていません。今朝、鍵を閉め忘れたのか、それとも誰か来ているのか。しかし電気はついていません。今朝閉め忘れたのだと思いました。部屋へ入ってみると、そこで何が起こったのかすぐに分かりました。部屋の中は見事に荒らされ、ぐちゃぐちゃです。空き巣でした。空き巣に入られたのです。見るとデジカメがどこにも見当たりません。そうです。僕の充実したパソコンライフを送るために購入したデジカメが盗まれたのです。震える手と声を一生懸命抑えつつ、110番へ連絡し、警察に現場検証に来てもらいました。

 警察官が自宅へ来たのは、110番へ連絡してから1時間後のことでした。空き巣に入られた程度だと警察の扱いもこんなものか・・・と思っていると・・・。『お宅で今日が13件目ですよ』。何と!地元周辺だけで13件もの空き巣被害があり、その警察官は昼から何も食べていないとのこと。約2時間の現場検証と事情聴取が行なわれ、警察官が帰ったときはもう夜12時をまわっていました。後日、盗まれたデジカメは時価相当額(7万円でした。)が損害保険会社より支払われました。

 運が良かったことに、金銭は自宅に置いておくほど余裕がなかったので、盗難品はデジカメと数珠の2点でした。

 最新・最速パソコンは動かない。デジカメは盗まれた。最悪な状態の僕は、この7万円を使ってパソコンを直す決心をしました。CPUは既にギガヘルツの時代。使わなかった月日が長かったので、僕の最新・最速パソコンはいつの間にか普通のパソコンに変身していました。どうせ直すなら徹底的に直そうと決心した僕は、使えるパーツだけを移行して完全なる自作機を製作することにしました。秋葉原へ出向きタワー型ケースを購入。マザーボードとCPUは友人から借りました。メモリやハードディスク等のパーツ類は破損していないかチェックしつつ、使えるものは自作機へ、使えないものは購入へと、時間をかけながら判別していきました。

 そんななか、追い討ちをかけるような出来事が起こりました。

 その日は、パーツを挿しては電源を入れ、認識されているかの確認をしていました。いつものようにパソコンケースを開けたままの状態で、中をいじくり回していた時のことです。なんと電源が入ってる状態にもかかわらず、ハードディスクに手が触れてしまいました。その瞬間、パソコンは『プチン』という音とともに、二度と起動することはなくなりました。そうです、静電気でハードディスクが壊れてしまったのです。焦りました。とにかく焦りました。このハードディスクは昼間に買ってきたばかりの最新モデルです。たった数時間で15,000円が水の泡になりました。この瞬間、ヤル気も無くなりました。パソコンはこの後、まるで手術中のような状態のまま3ヶ月近く放置されました。

 Yahoo!BBが激安ADSLサービスを発表した夏になり、ようやくヤル気が回復してきました。しかし保険の7万円はとっくに底を尽きていました。もうこれ以上無駄な出費はできません。そんな時、ある案が生まれました。自作が大好きな友人が代わりに作ってくれるというのです。僕は彼に手伝ってもらうことにしました。パソコンのスペックや製品などを細かく指定し友人に作ってもらうと、プラス6万円の出費で無事に完成しました。PentiumV1GHz、DDR384MBメモリ、HDD40GB。なかなかの高速マシンです。OSもWindows2000に入れ替えられ、永らく夢見た安定稼動が実現しました。

 デジタルオタク化した僕は2001年12月、2代目デジカメPENTAX Optio430を購入し、2002年1月、デジタルMP3プレーヤーを購入しました。名刺よりひと回り小さなサイズですが、内蔵メモリは32MBです。64MBのマルチメディアカードを購入すれば最大96MBもの容量になります。音楽CDをMP3形式へエンコードし、USBケーブルでパソコンとプレーヤーを繋ぎ、コピーすれば、どこへでも音楽を持っていけます。通勤時に大活躍です。しかし、ここで事件が起きました。

 忘れもしません。山形蔵王へスノボへ行ったときでした。山形駅に近づき、降車準備をしていると『カラン』と何かが落ちた音がしました。『おい、何か落ちたぞ。』隣りに座っていた友人に声をかけましたが、特にそれらしきモノが落ちていません。友人も自分の持ち物が揃っていたのでしょうか、特に気にもせず新幹線からの降車準備に取り掛かっていました。僕も特に気にすることなく新幹線を降り、山形駅から蔵王温泉行きバスに乗り、隣りに座ったもう一人の友人に自慢げにMP3プレーヤーを見せました。『アーッ!』。ありません!降車準備のときに音がしたのは、僕のMP3プレーヤーの電池のカバーだったのです。まさか電池部分のカバーが簡単に外れるなんて思ってもいません。ましてや落としたのが自分だったとは・・・。この日以来、僕は電池カバーの無い状態のまま、通勤で使用しています。

 現在、僕のパソコンはWindowsXP化へ向け、新たな挑戦が始まろうとしています。夏にはPentium4へ移行する予定です。この準自作機が完全な自作機へ変わるまで、僕の挑戦は続きます。

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